日々是弱音

音楽と文

ある1日


大きな地震があった日から4年経ったらしい



僕は高校2年生として校舎の3階で数学を受けていた。ある程度の規模の揺れだったので机の下に入って、そうこうしているうちに帰宅することになった




青森の雪は4月まで続くので、当然のようにその日も雪道をバスに揺られて帰った

今思うと学校が尽力してバスを運行させたのだろうけど、こっちは何も知らず、少し早い下校だったのでどこか遊びに行くとかそういう話を友達としていた

信号は点滅して、警察官が立っていた


なかなか繋がらない電話が母親からかかってきて、とりあえず妹、弟を拾った後車で迎えに行く旨を伝えられた



駅に着いたら当然のように全て運休で、人があふれていた
そこで初めて何かまずい気がしたのだけど、信号が機能していない道を帰ることの非日常感を面白いと感じたりしていた



帰宅して、電気が止まっていることに不安を覚えた
市役所勤めの父の遅い帰りを待つ間、懐中電灯とろうそくの灯のなかラジオを聴いて、タオルで体を拭いた
ご飯をどうしたかは覚えていないけど近くの父方の祖父母の家の発電機でどうにかした気がする


夜はずっと暗かった
その日は疲れがたぶんあったのだけど、なぜか眠れなかった


次の日は、ある程度晴れていた(冬の青森では日中明るくない日も多い)のでわざわざドラゴンヘッドを読んで、自分から不安を煽った


何かしらのタイミングでテレビが見れるようになって、そこで事態の酷さをしっかりと認識した
映像のもつ影響力というか、視覚で捉えることの重要さというか

そこから数日はTwitterをずっと見ていた気がする、ソンソン弁当箱の人が自転車で街を走り回って人を探すということをしていた
福島の知り合いに大丈夫かというメールを送ったら、家がひび割れただけですんだと返ってきた、彼女は福島で料理を作っている


そのほかどういう生活をしていたかは覚えていないのだけど、ガソリンとかそういうものを気にしながら過ごしていたと思う





僕が青森にいて経験した3.11はだいたいこういうものだった



原発がどうとか、死がどうとか
そういうことではなくて

少しずつ記憶から消えていくものだとしても、一度自分の中でまとめておく必要がある気がして、ここはそのためにちょうどよい場所だったので箇条書きのような形になってしまったが



今日の音楽はGil scott heron
特に思うことはないよ、家族や友達、恋人と普通に暮らせる世界ならそれでいいよ