ねむけ
帰省のために電車に揺られている
赤く染まる青空や眠気も相まってかなんとも言えない気持ちになる、ふわふわ浮かんでいるような
ゆっくりのんびりいこう
僕が死んでも誰かが頑張る
とはなれないけど、いくらか頑張ったり休んだり、たぶん僕にはそれくらいしかできないから
別にタクシードライバー見たわけではないけど今日はとてもJackson Browneが染みる
静寂
ここ数日、恋人が僕の家にいた
美味しいご飯を作ってもらった
一緒に模様替えをした
机を持って外を歩いたし、とても笑った
毎朝起きた時、隣に彼女がいることに幸福を感じる
距離が離れていることで、確かに寂しさは募るけれど
存在を思うだけの日々も悪くないと思う
彼女は帰り、模様替えによって広くなった部屋はとても静かで、知らない空間のようだった
僕は眠り、起きて、野菜を食べ、珈琲を飲み、パソコンに向かい、ギターを弾いた
真夜中にアルコールの入っていない状態で聞いたBlake millsがとても良くて、お酒を飲まないのもいいなと思った
考え方
自分の根本のようなところ、大事にしなければいけないところが少し分かった気がした
あの人たちは愛していないのかな
自信があるのかな
みんな違ってみんないい
わけないでしょう馬鹿か
昔、自分が吐く息にすら意味はあるとか言ってて、まあ今でも全ての事物に何かしら宿っているとは思うけど、なんにせよいいものは少ない
John LennonのGod
僕は僕を信じられないけど
ある1日
大きな地震があった日から4年経ったらしい
僕は高校2年生として校舎の3階で数学を受けていた。ある程度の規模の揺れだったので机の下に入って、そうこうしているうちに帰宅することになった
青森の雪は4月まで続くので、当然のようにその日も雪道をバスに揺られて帰った
今思うと学校が尽力してバスを運行させたのだろうけど、こっちは何も知らず、少し早い下校だったのでどこか遊びに行くとかそういう話を友達としていた
信号は点滅して、警察官が立っていた
なかなか繋がらない電話が母親からかかってきて、とりあえず妹、弟を拾った後車で迎えに行く旨を伝えられた
駅に着いたら当然のように全て運休で、人があふれていた
そこで初めて何かまずい気がしたのだけど、信号が機能していない道を帰ることの非日常感を面白いと感じたりしていた
帰宅して、電気が止まっていることに不安を覚えた
市役所勤めの父の遅い帰りを待つ間、懐中電灯とろうそくの灯のなかラジオを聴いて、タオルで体を拭いた
ご飯をどうしたかは覚えていないけど近くの父方の祖父母の家の発電機でどうにかした気がする
夜はずっと暗かった
その日は疲れがたぶんあったのだけど、なぜか眠れなかった
次の日は、ある程度晴れていた(冬の青森では日中明るくない日も多い)のでわざわざドラゴンヘッドを読んで、自分から不安を煽った
何かしらのタイミングでテレビが見れるようになって、そこで事態の酷さをしっかりと認識した
映像のもつ影響力というか、視覚で捉えることの重要さというか
そこから数日はTwitterをずっと見ていた気がする、ソンソン弁当箱の人が自転車で街を走り回って人を探すということをしていた
福島の知り合いに大丈夫かというメールを送ったら、家がひび割れただけですんだと返ってきた、彼女は福島で料理を作っている
そのほかどういう生活をしていたかは覚えていないのだけど、ガソリンとかそういうものを気にしながら過ごしていたと思う
僕が青森にいて経験した3.11はだいたいこういうものだった
原発がどうとか、死がどうとか
そういうことではなくて
少しずつ記憶から消えていくものだとしても、一度自分の中でまとめておく必要がある気がして、ここはそのためにちょうどよい場所だったので箇条書きのような形になってしまったが
今日の音楽はGil scott heron
特に思うことはないよ、家族や友達、恋人と普通に暮らせる世界ならそれでいいよ
Are you fine
何かにかこつけて、物事をいい方にいい方にと持っていくのは良くないな
過去を美化する必要も見栄を張る必要も何もなくて、僕のお腹には贅肉がたまっていて全てそういうことなんだよな
別れについて昨日少し考えたときに思った
たぶん別れをいいものとかわるいものとか、そういうふうに捉えるのが間違いなんだな
なんでもない
日をまたいでゲームをし続けた
声が飛んできた
少し前来日していたMac Dearco
ライブ以外も楽しんで帰ったっぽかったけど、とても心地よいよ
楽しいな